2011年3月15日火曜日

東日本大震災 ~がんばろう東北!~

本当は娘のそして我が家のビッグイベント、岩手県冬季学童水泳大会についてgood newsを報告するつもりだった。しかしこんなことになってしまった・・・・。


はじめにおことわりしておきますが、私は盛岡市に住んでいます。

私・妻・娘・義母・飼犬オーレ。全員無事。
花巻市石鳥谷に住む私の両親・弟も全員無事でした。


●2011.3.11 14:46 地震発生

私は会社にいました。

急に聞いたことのないケータイからの警告音。しかも周りの同僚からも一斉に。
数秒後にはもうあの大きな地震が来ていました。
はじめは立ち上がってpcやディスプレイを押さえていたのですが、建物がきしむ音がして、尋常じゃない揺れになってきたところで館内放送で総務から避難するよう指示。
4階のフロアから急いで階段で外に逃げたのでした。


会社も電気がとまり、自家発電装置が作動。重油の燃焼する黒煙が排出され、何か火事でも起きたかのようでした・・・。


そうしているうちにも地震は繰り返す。
社屋から避難した社員たちの統制は取れているが皆一様に寒そう。
(多分日中の最高気温もマイナスだったか?と・・・)

みな、ケータイで家族と連絡をとろうとしている。
私もケータイで試みたが電話は×。
しかし妻と実家の父にメールは送った。

近くにいた駐車場の案内のおじさんがラジオを聴いており、一緒に聞かせてもらった。
沿岸に津波?大津波警報?逃げてください?
地元放送局のアナウンサーの懸命な声。
最初は信じられなかったけど、どうやら本当だった。
周りの同僚がつぶやいた。◎◎市ダメかも・・・。(あえて伏せます)


このころ、ようやく妻から返信メールで全員無事の連絡。
ほっとしていたが、実家の両親の安否がわからない・・・。
父のケータイからのメールの回答がこない。


どのくらいたったかわからないが、会社から指示。
特定の社員は顧客対応のため、客先へ。
ある社員はしばらく待機して連絡係。
そうでない社員は帰ってよいとのこと。
私は1時間程待機し、余震が来たときに危険と思われるモノを下におろしたり、
置き方を変えたり、ロックを確認したり・・・・といった作業をおこなう。
安全確認後、防寒対策をして(暖房が止まっている)待機。
その後、同僚の何人かが帰宅するとのこと。私もこのタイミングで帰宅させてもらった。


最悪なことに急に横殴りの雪が降ってきやがった・・・・。
徒歩35分の帰路がいつまでも続く道に思えた。早く帰りたい・・・。




●2011.3.11 17:00頃 帰宅~ライフライン遮断生活


帰宅し家族の安全をこの目で確認したときは涙がでそうになった。
ライフラインのない生活に備え始める。
・ケータイの電池→〇。非常用の電池は持っていないがノートpcからチャージできるケーブルがある。
・ノートpc→〇。電気は来ていないが半分くらいメーターに電気が残っている。
・ローソク→◎。仏壇のローソクもある。結婚披露宴のビッグキャンドルもあった!
・水→×。直後は最初出ていたらしいが、そこで安心してしまい、ストックしていなかったらしく、既に後の祭り。でも幸い飲物はいろいろ冷蔵庫には入っている。
・懐中電灯→◎。しかもラジオ付の防災タイプ!最高のグッズ。
・電池→単三◎。単四◎。
・暖房→◎。電気がとまってもいいように、反射式ストーブをキープしてあった!
・灯油→◎。我が家は普段、灯油・電気併用型の温風暖房であるため、200リッタータンクが
あるので◎。
・米→〇。あまりない。でも数日なら大丈夫。
・食材→〇。うどん、カップ麺、そば、野菜、パン、缶詰。それなりにある。数日なら大丈夫。
・ガソリン→×。ほとんどない。しかも2台ともに×。不安。
・犬のエサ→◎。たっぷりある。
・貴重品→◎。通帳や現金を持ってすぐに逃げ出せるように一箇所にまとめる。



水とガソリンは不安だが、あとはなんとか数日は大丈夫と確信。
なんとなく数日あればライフラインは回復するという思いがあったので。


上記のモノの確認を終えると、
毛布や布団を1階のリビングに持ってきて、固まって眠れる体勢をとり、
あとは固まってじーっとしているだけ。


余震、余震、余震・・・。


でも、実家の両親とケータイメールで連絡がついた!
全員無事!良かった!


夕飯を食べる元気がないがほっとしたらすこしお腹は空いた。
今日の夕食→たまたま買ってあったお餅1個、フライドチキン1p、バナナ1本。

ローソクとラジオをずーっと付けっぱなしに、浅い眠りを何回か・・・。
余震、余震、余震・・・。


私の中ではあとは2人だけ安全を確認したい。
高校野球部の同級生。木村と長谷川。
2人とも中学教師になり野球を教えている。
家族と共に沿岸部に家をたてて住んでいる。もともとは内陸出身なのに・・・。
山田町と大槌町だ。甚大な被害地だ。心配だ・・・・。


異常なまでに星空がキレイ。

停電の夜は自然の偉大さをそういう意味でも教えてくれる。



・2011.3.12 ライフライン遮断生活2日目

ラジオからは悲惨な状況が続けて報道されている。
今日は娘の新体操の発表会だったなあ・・・。→当然中止


まだまだ余震は続く。
今日の朝食→うどん

近所のたけるくん家に連絡をとり、水の状況を確認。
うちは水が出ない。しかしたけるくん家は出るとのこと。
うちは加圧ポンプを使っているので、電気がないと水も出ないことが判明。
つまり盛岡は断水していない!よかった!

たけるくんの家にバケツとなべをもって水のおすそ分けをいただきに!
ありがとう、たけるくん!


その後近くの生協に買出しにいくことにした。義母と娘と3人で。
10:00にいったら100mくらいの行列。しかたないので最後尾に。
牛歩とはまさにこのこと??ゆっくりゆっくり少しづつ進む。
次第に状況がわかってきた。
1人5品まで。店舗の中には入れない。店舗の外で販売している。
すでに無いものは、電池、ケータイの充電グッズ、ローソク。
1時間20分程並んでようやく買い物。
カップ麺、バナナ、うどん、おにぎり、納豆巻き・・・。3人×5品。十分な買い物ができた。


今日の昼食→納豆巻き、カップ麺


午後はずーっとラジオ。
翌日のビッグイベント、冬季学童水泳大会が中止になったことをラジオから確認。
当然だよね、と思いながらも、今までこの日のために練習をしてきた娘のことを思うと涙が出てくる。


娘よ、大丈夫!努力は絶対に無駄にはならない。次の大会もその次の大会もある。
新記録も最優秀選手も次の秋に狙おうじゃないか!

そういえば、何の気なしに家の外にある蛇口をひねってみたら水が出た!
おー、外の水は加圧ポンプの管理下にないのか!
今のうちに水をくんでおこう!トイレにも!

何時間かたった。

予想が悪いほうにあたる。
もうすぐ断水するとのこと。節水のため。給水車は近くにくるらしい。
まあ、なんとかするしかない。


今日の夕食→カレー


木曜日の時点で土日のスケジュールが多忙であることから、ママが金曜日にカレーを作ることを決めた。そして金曜日の地震発生までにカレーを作っていた!
ちなみに電気が使えなかったが、灯油の反射式ストーブの上になべを乗せてご飯を炊いた。
やってみたら全く問題なくご飯が炊けた!
ローソクの灯りの下のカレーは悪くない。

余震、余震、余震・・・・ラジオ、ラジオ、ラジオ・・・・。

今日のよるも星がキレイだ・・・・。娘と星空を見た。
あまりにキレイなオリオン座にびっくりしていた。

娘よ。おぼえておけ。この星空を。


●2011.3.13 午後ライフラインが復旧

今日の朝食→昨日調達してきたおにぎり、バナナ

まだ電気は通らない。
ちなみに盛岡市内丸の官庁街は昨日のよるの時点で電気が復旧している。
我が家は高台にあるので市内が見えるのだ。
国道4号線の外側(我が家がある場所)はまだ電気がつかないが、
内側は復旧してきたようだ。

もうすこしで電気がとおるはず!
水ももうすこしで通るはず!

そんなこんなの午前中に電気が通った!
テレビがつく!水道も出始める!よかった!

そして朗報もうひとつ!
高校の同級生、長谷川が無事であることを確認!
ケータイで連絡が取れた!よかった!
あとは木村あとひとり!

今日の昼食→残りの冷ご飯でチャーハン。

テレビがついたことでニュースを見るようになった。
いままでケータイの電池がなくなるので、ワンセウはできるだけ見ないようにしてきた。
あまりにひどい沿岸部の惨状を目に・・・・。
木村!生きていてくれ!


今日の夕飯→前日にひきつづきカレー。

とんだ水泳大会の日になっちゃったね。

そういえば、jss盛岡に甚大な被害が発覚。
配管損傷で水漏れ。しかも水漏れの影響で感電が懸念されるため、電気をつけられない。
地震で修繕業者も手配が困難。泣きっ面にハチ・・・・。

盛岡にはもうひとつjssあおやまがある。
娘の練習を考えると、そちらとの合同練習を検討してほしい・・・・。
こんなときに申し訳ない話だが・・・。



●2011.3.14 会社に出勤

今日の朝食→トースト・ヨーグルト

娘は今日まで学校が休みになった。

私はいつものように徒歩で35分かけて出勤。
あきらかに道路をとおる車の数が少ない。
ガソリン節約のためだろう。また休んでいる人も多いのだろう。
公共交通機関は不通。

会社は信じられないくらい普通っぽい。
でも実際にはほとんど仕事にならない。
通常の業務をやる時間はあまりなく、被災地のお客さんの対応や、
社用車の緊急車両申請~給油対応等をおこなう。

阪神淡路大震災にあったメーカーのかたからお見舞いのメールが届いた。
こころからうれしかった。
その後もお見舞いのメールが続々届いた。ありがたい。

今日の昼食→いつもはママの手作り弁当だが、今日は米の節約のためカップ麺とバナナ。

午後も午前同様。

会社の人でも出張中に被災したひとがいた。命に別状無し。しかし車が津波で流されたというウワサ。
助かって帰ってこられただけでも良かった。
仙台市内の避難所に奥さんと子供がいて、迎えにいきたいがガソリンが微妙で・・という先輩。
でも午後から休暇を取っていた。無事に迎えに到着できてほしい。

17:00 速攻で帰宅。

今日の夕食→暖かいご飯に納豆とわずかな刺身。

娘がこのブログと同様に地震の記録を、「こころのノート」に書いていた。
感動したことやこころに残ったことを書くノートだ。
プールノート(練習日誌)もつけているのに大変だね(笑)

娘は自分の住む「家」に「おうちさん、ありがとう」といっていた、と妻。
自分の娘ながら涙が出る・・・。


・2011.3.15 有給休暇→ガソリン難民、友人の消息を探す。

今日の朝食→冷凍ピザ

ガソリンと米を求めるため、そして球友の木村を探すため、有給をつかって会社を休んだ。
1日くらい休んでもバチはあたるまい。

しかしガソリンはどうにも手に入らない。2箇所位見つけた「やっているスタンド」は長蛇の列。2~3キロはあるだろうか?もう赤ランプが点滅しているので、エンジンかけて並んでいるうちにアウトになる可能性もある。これでは厳しい。

午前中いっぱいでガソリンは断念。自宅に帰ることに。
米も平行して探していたが、どこにいっても売り切れ。
流通が復旧せず、米が底をついたら、近所や実家に頼るか・・・・。

ウワサでは今週中には米が入荷するらしいし。今は本当はあるんだけど、被災地に優先的に
まわしているとのことだし。

今日の昼食→ご飯と冷凍食品。

午前から午後にかけて木村を探す。
東京の友人遠藤、盛岡市内の友人司・大和田とケータイメールなどを使いながら・・・。
本人とは連絡がとれないので、本人の両親の実家を探す。
しかし20年近く前の記憶がたより・・・・

なんとか両親の情報に近づいた。名前、住んでいるところ。

しかし・・・・どれも確実性がない。電話番号にはたどり着かない・・・

なんとかわずかなコネクションをつかって調査を続けていたところ、東京の遠藤から本人と連絡が
取れた!とのこと!

涙・・・・・・・。

よかった!!!家族全員無事・・・・涙・涙・・・

避難所からの衛星電話なのか、自分のケータイなのか、まったく詳細はわからないけど、全員無事ということだけはわかった。

家がどうなったのかもわからない。でも、生きているだけでよかった。

ほっとした。

ほっとしたら眠くなった・・・昼寝・・・・・。

今日の夕食→たこ焼きのタコなし、ソーセージ入り。あくまでも白米節約。

これが今日までのドキュメント。

一生、忘れることのない3/11からの4日間の記録でした。

あ、明日の朝、もういちどガソリンを探索します。
ガソリン販売の情報を入手したので・・・・。会社は午前中だけお休みをいただくかな?

最後に・・・

今回の大地震で被災された方々にお見舞いを申し上げます。
そして、わが娘。
一生懸命、恐怖をこらえて、私たち親にもパニックの姿を見せないようにしている娘。
大丈夫だよ。あなたのことはパパとママが一生懸命守るから、泣いてもいいんだよ。

これからもみんなで力をあわせてがんばっていこう。

がんばろう岩手!がんばろう東北!