2019年4月2日火曜日

新元号は「令和」

新しい元号は「令和」でしたね。「れいわ」「reiwa」

でも、古の書物の一節から言葉を頂いて元号を作っているというのは知らなかったので勉強になりました。単純な漢字の組合せで造語を作っているのではなく、意味があるのだとわかったことは大きいです。









どちらの文字も4年生までに習う感じで構成されるという予想はあたっていました。
「令」を見落としたのも悔しいですが、「和」を昭和の時代から間をおかずに再び使ってきたというのは意外でした。

私の中では明治以降の近代で使った感じはしばらく使わないという予想をしていたので。

でも予想してみて楽しかったです。私は今回の元号「令和」大好きです。


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さて「令和」については万葉集が出典元になっているとのこと。

「竹取翁と万葉集のお勉強」というサイトがあってそちらから以下のとおりコピペさせていただきました。

https://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/4fd39531a03c8b8ae40e6814197a2121



万葉集巻五

梅花謌卅二首并序
梅花の歌三十二首、并せて序


天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

●読み
天平二年正月十三日に、帥の老の宅に萃(あつ)まりて、宴會を申く。時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。加以(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(こ)められて林に迷ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故鴈歸る。於是、天を盖(きにがさ)とし地を坐とし、膝を促け觴(さかずき)を飛ばす。言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放(ほしきさま)にし、快然と自ら足る。若し翰苑(かんゑん)に非ずは、何を以ちて情を壚(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

●訳 
天平二年正月十三日に、大宰の帥の旅人の宅に集まって、宴会を開いた。時期は、初春のよき月夜で、空気は澄んで風は和ぎ、梅は美女が鏡の前で白粉で装うように花を開き、梅の香りは身を飾った衣に香を薫ませたような匂いを漂わせている。それだけでなく、曙に染まる嶺に雲が移り行き、松はその枝に羅を掛け、またその枝葉を笠のように傾け、夕べの谷あいには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林の中で迷い鳴く。庭には新蝶が舞ひ、空には故鴈が北に帰る。ここに、天を立派な覆いとし大地を座敷とし、お互いの膝を近づけ酒を酌み交わす。心を通わせて、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大自然に向かってくつろげて広げる。淡々と心の趣くままに振る舞い、快くおのおのが満ち足りている。これを書に表すことが出来ないのなら、どのようにこの感情を表すことが出来るだろう。漢詩に落梅の詩篇がある。感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うだろう。よろしく庭の梅を詠んで、いささかの大和歌を作ろうではないか。

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美しい初春の情景が詠われていますね。
良い感じです。

上の訳の最後の3文。
「漢詩に落梅の詩篇がある。」
「感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うだろう。」
「よろしく庭の梅を詠んで、いささかの大和歌を作ろうではないか。」

それから、今回はじめて「中国の文献」ではなく「日本古来の文献」から引用されたということ。

なんだか安部政権の腹の中が表されているような気がしてなりませんね(笑)。

でも繰り返しになりますが、私は「令和」、好きです。


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